どうもどうもこんばんは。33女です。
珍しくあまり食欲がありません。女子のタイミングの関係ですが。
やっぱりホルモンってすごいですね。人間の体をひょいひょい動かす、とんでもないものです。
体内で生産される純度のホルモンを人工的に作れるようになったら、人間は一体どうなるのでしょうね。
ではタイトルの件。
これは普段気を付けていることの一つと言いますか。フレーズ自体は漫画「スケットダンス」の登場人物である安形会長の言葉なのですが。
元々わたしは理屈っぽくて、正論を振りかざすタイプ。
違うと思ったことを違うと言って何が悪いの?
正論振りかざすな、って正論なんだからいいじゃん。
そんな風に思っていました。
しかし年を取るにつれ、人と関わるにつれ。
世の中は、ほんとうにいろんな人がいます。
先ほど書きましたわたしが正論と思っていたこと。それはあくまでも、わたしが生きて経験してきた中で、一般的だと思われる意見。それを正論だと思い、言ったり言わなかったり。
でも、相手はそうじゃないこともある。
例え一般的に見てもわたしの意見がベターだったとしても、相手の中では違うかもしれない。
そして人間には感情というものがあり。それに振り回されることも多々ある。
理屈や正論で割り切れたらいいけど、中々そう出来ないこともある。というかきっと、理屈だけでスパーンと物事割り切れる人のほうが、ずっと少数だと思う。
なのにわたしは正論(と思っていること)を正論なんだからいいじゃん、と。
人間の感情の逃げ道、とでも言いますか。そういったことを考えていなくて。もうね、ロボットかよ、って。
それはいつかきっと苦しくなる時がきて。そりゃそうです。完璧な人なんていやしない。振りかざした正論は、いずれ自分にも降りかかってくるんです。
そして当然、自分にも感情はあって。頭では分かっちゃいるけど…こうするのがいいんだろうけど…。そうと分かっていても、出来ないときがやってくるんです。
でもね、正論、と言うか一般的に見てベターと思われる意見。それを採用するのって決して悪いことではなくて。
会社の人とか、ご近所さんとか。そんな人たちにまで、みんながみんな深く関わる、なんて事態になったら、いま考えただけで気疲れ死しそう。
そういう日常の、さらさら流れていく付き合いでは多数派の意見を採用するのがベターだし、効率的でもあると思う。
じゃあ効率的なんてことを考えたくない、すぐそばにある関り。
自分のためにも、なんて言ったら打算的に聞こえるかもしれないけど。
逃げ道を潰さないようにしています。
と言うのは何だかしっくりきませんね。やはりここはタイトルのフレーズを拝借しまして。
感情の余白を残す、ことに気を付けています。
これからも付き合っていきたい人が、何かやらかしたとして。
正論で責め立てるのは簡単。行ってほしくない道を潰すのも簡単。
でも、付き合っていきたい人だからこそ。感情の逃げ道を、感情そのものを赦してあげたい。
それは時に、思いもよらなかった選択肢を生み出すことだってある。
そしてその先自分が何かに陥った時。自分の幅を広げてくれることにもなると思うんです。
感情だけじゃなく、自分の中のルールだってそう。
それを決めてそう動くのは大変なこと。人間だもん、どうしたって楽な方に流れる。
でも縛られすぎちゃうと、自分で自分の首を絞めることにもなる。
ルールの意味がなくなっちゃうかもしれないけど。たまにはそれを赦してあげて、自分の中に余白を作るのもいいと思うんです。ちょっとぐらい余白があった方が、動きやすいでしょう?
って言ってもこれが中々出来ないんだけどねえ…。
これが出来ると、いわゆる大人の余裕、なんてものに繋がってくるのでしょうか?
わたしには、現時点でそういう意味での大人、は難しそうです。
でもま、たぶん人生まだあると思うので。(そう思わなきゃこわいわ。)
人を、自分を赦してあげられる。そんな大人を、まだまだ目指していきたいと思います。
ほいじゃあ、またね!
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