どうもどうもこんばんは。33女です。
食っちゃ寝の日曜日…贅沢ですねえ…。一見すると怠惰なだけのような一日ですが、こんな無為な日があるから平日も頑張れると言うかね。充電って言うかねっ。決して無意味、なんてことでh
ではタイトルのけ〜〜ん。(寝過ぎて背中痛い。)
わたしはもうじき35歳になろうかという頃合い。人との出会いや別れ、仕事上のあれこれ、その他のエトセトラ。まだまだとは言え、それなりに経験というものをしてきたつもりです。
そうして「大人」になり、次第に余裕みたいなものも出てはきましたが。その余裕って、「慣れ」でもあると思うんです。
何か初めてのことにぶつかった時、経験がないからどうしていいか分からない。余裕がない。その出来事に慣れていないから。
でもそれが2回目だと、前回の経験、「慣れ」がある。そうして余裕も生まれる。
わたしも生きていくにつれそんな感じになってきたいま…
何だろう、この何かにエネルギーを費やしたい感
おそらくそれは、わたしの年齢で言うなら子供に向かう人が多いんだと思う。
様々な経験をし、それなりに生活を送り。そんな頃一体わたしは何の為に生きるのか。人にはそうやってふと立ち止まる時があると思うのです。
わたしはレズビアンだけど、子供が嫌いなわけでも欲しい気持ちがなかったわけでもない。でも何故だか女性同士で子供は出来なくて、結婚に至っては国が許してくれなくて。
そういえば先日足立区のうんぬんかんぬんがありましたね。それで足立区滅びるって何じゃそりゃ。
わしらTウイルスか何かか。
と話が逸れてきましたね。
若い頃はね、経験も少なくて。自分のことで手一杯。自分以外の存在を自分以上に大事にする。そんなことは出来なかったし、頭にすらなかった。
何も全ての家庭やお子さんを持った方達がそんな風だとは思っていません。中には若くして余裕もない頃に子供に恵まれ、奮闘してきた方もいるでしょう。ふと立ち止まるどころかぶっ通しで走りっぱだわ!みたいな方もいるでしょう。それはね、単純にすげえ、って思う。
でもわたしは結婚にも子供にも縁がないまま、ここまできた。
レズビアンの人の中にもね、それらを叶えてきた人はいる。結婚は養子縁組とか、子供は知人に頼んだり、まあ、色々。
だからわたしもほんとにそれが欲しいなら、やりようはあった。でもわたしが欲しい形とは少し違う。選べる立場かよ、って思うけどね。
まあ現状の日本でそれが無理なら、じゃあいっか。しゃーない、ぐらいのもんです。
ただもうね、
一人は飽きた。
そこそこやっていける生活も、とてもありがたいこと。その生活がいつまで出来るかも分からない。左団扇でヨユーヨユー、なんてこともない。でも自分のためだけに生きること、それにはもう飽きたんです。
って言っても結婚も出来ないし子供も持てないし、じゃあどうしよう……
というところに隣県さんです。
わたし元々は世話焼きでも何でもなかった。それなりに自己中で、それなりにわがまま。でも、飽きた。いまは自分じゃない誰かに、何かに。エネルギーを注ぎたい。
隣県さんは年相応に自己中だったり、わがままだったり。それは普通のことだし、そしてわたしにはそれがいい。
こいびととしてのラインはあるし、それを越えた部分にはわたしももちろん声をあげる。
でもやっぱり
可愛くてしゃーない。
わたしが勝手に生きてその結果生まれたエネルギー。それを注がせてもらえるって、しあわせ。
人によってその注ぎ先は様々あるけど。わたしは誰かに、がいい。
でも何かに、もいい。
どっちかだけにすることもない。両方欲しいなら、両方やってけ。わたしはわたしのエネルギーが切れるその時まで、注ぎ続けます。
ほいじゃあ、またね!(隣県さん以外の誰かに、ってことじゃないからね( ;´_ゝ`)ヤダナァソンナワケ…)
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